とある嵐が去った朝




「おっす!朝もう食ったか?」
擾は蔭の部屋が玄関の上だということも、家に誰もいないときは蔭がベランダから来訪者を覗く癖も知っている。こっそり居留守をしようとしてベランダから逃げようとする蔭を目敏く見つけ、声をかけた。
「いや…まだだが…」
蔭は振り向いて月花に着替えるよう合図を送った後カーテンを閉め、仕方なく会話を始める。
「今稽古帰りにお前の好きな店のサンドイッチ買ったんだ!食わねえか?」
茶色い紙袋を蔭に見せながら擾が言った。相変わらず朝稽古は欠かさないらしい。
「解った。玄関開けるから待ってろ」

 

「…月花…開けても平気か…?」
小さな声でカーテンごしに話しかけると、細い指がカーテンを開けた。月花は昨日の夜渡した蔭の服を着ている。
「…腹減っただろう?お前も降りて来い」
蔭が促すと、少し大きめな服の袖を上げながら月花が手を振った。
「いえっ…この服では明らかに私のには見えないし…っ」
「この嵐だったんだ。どうにかなるだろう」
そう言って蔭は部屋を出た。

 

「お邪魔しまーす。…よぉ月花」
後ろに立っていた月花に手を上げて挨拶すると、擾は靴を脱ぎ家に入った。月花の存在には触れないようだ。月花はほっと溜息をつく。
さっさと家の中を歩き台所のテーブルに紙袋をおくと、擾は椅子に座った。
「あ、私用意するねっ…お皿の場所教えてくれる?」
蔭が大きな皿とナイフの場所を教えると、月花は袋を持ってキッチンにさがった。 蔭が後を追おうとすると、擾にシャツの裾を引っ張られた。よろけた所に肩を組まれ、顔を近付けられる。
「…二人で一夜かよ…随分だな」
蔭がぎょっとする。
「サゾカシ楽シカッタロウネェ…」
「煩い」
にやりと笑う擾の頭を小突いて蔭は手を払うと、立ち上がって台所に向かって歩き出した。

「あの…やっぱりばれてます…よね?」
やかんを火に掛けていると隣にいた月花が小さな声で尋ねてきた。頬を赤らめうつむいたままサンドイッチを並べている。
「…黙っていれば大丈夫だろ…」
既にばれてるとも言い難く、適当に言い繕って蔭はマグカップを並べた。
「コーヒーでいいだろ?」

三人でコーヒー片手にサンドイッチ…誰ひとりとして口を開く者はいない。
「響は…いいのか?」
蔭がやっと沈黙を破る。
「昨日の昼に鼻歌歌いながら車に乗って…帰って来てない」
月花が真っ赤になって吹き出しそうになる。蔭は慌てて話題を変えた。
「そういえば擾、レポートは終わったのか?」
「終わってない。おかげで昨日もアイツに会えなかった」
今度は蔭が咳込む。擾は無表情のままコーヒーを飲み干した。
「おかわり」
蔭が立ち上がって二杯目を入れに行く。テーブルに擾と月花が残された。擾は月花の顔を覗き込み、にやっと笑う。
「…うまかっただろ?」
月花は凄い勢いで真っ赤になって顔を上げる。擾はくすっと笑った。
「ばぁか、サンドイッチが旨かったかって聞いてんだよ。お前も素直な人間だな」
「いっ意地悪っ!」
「お前がやましいこと考えてるからいけないんだろ」
月花はますます複雑な表情を浮かべる。
「擾君こそどうなのよっ…!そんなに野放しにしてたら尋乃ちゃん逃げてっちゃうわよっ」
「俺だって…」
擾はそこで一旦言葉を切った。
「…良いんだよ。俺は尋乃を信じてるんだ」
そこへ蔭が戻って来た。

二杯目のコーヒーを飲み干し、擾は立ち上がる。
「じゃ、ちょっくら尋乃の顔でも見て来るわ。浮気されちゃたまんねぇからな」
「行くのか、ご馳走になったな」
蔭と月花も立ち上がった。
「いや、それはオ互イサマデスカラ…じゃぁなっ!」
擾は二人に挨拶すると玄関で靴をはき、帰って行った。

「すいません…ばれちゃいました…」
玄関の前に二人並んだまま月花は呟いた。
「…入ってきたときから解ってたみたいだから気にするな…」
月花は小さく頷く。さっきから頷くたびに顔が真っ赤になっている…。

「洗濯物を干さなくちゃな…」
ぼそっと蔭が呟いた。

 



**20020828**