もう一つの嵐の夜


「次の土曜日高原に遊びに行こう」

そんなデート(?)の約束を入れられた影貴は、休みだというのに朝早く起床し、身支度を進めていた。今日はGパンにトレーナー、なるべく動きやすくて…先生の好きそうな感じの物を選んだつもりだ。天気予報は快晴。晴女の影貴は週末傘要らずだった。

迎えに来た赤いスポーツカーに揺られて、二人は県外の高原の中腹の駐車場にやってきた。今日の遅めの昼食は影貴の弁当。駐車場で窓を開けて食べる弁当は中々美味しい。いつも過ごす都市とは違った澄んだ空気に車を降りた影貴は思わず深呼吸をする。
「空気が冷たくて気持ち良いっ!やっぱり街とは違うね〜っ!」
響は車に鍵を掛け、影貴を自分の背中側にある小道に促した。
「ここからは車入れないから歩いて行こう」
鞄を肩に掛け小走りで近寄ると、響は影貴の肩を引き寄せ小道をゆっくり歩き出した。

歩いて十分程だった。二人は山頂から周囲を見下ろしていた。白く靄がかかった高原の合間から風車が顔を覗かせくるくると廻っている。
「少し寒くなってきたね…空も不穏だし…」
くしゃみをした影貴を見た後空を仰いで響は呟いた。
「もうちょっとしたら帰ろうか」
その時だった。音をたてて物凄い量の雨が降ってきた。
「…今日は晴だったのにっ…クシュンッ」
影貴は響に腕を引っ張られぬかるんだ小道を駐車場へ急いだ。

 

持っていたタオルが絞れるくらい二人は濡れていた。車に暖房を掛けて極力風邪を引かないようにしたのだが、雨で濡れた服が容赦無く体温を奪う。既に影貴はさっきから比べると頬が赤くぼーっとしているようだ。多分これから数時間車にいるのは無理だろう。響は周りの景色を見渡し…溜息をついて、ウインカーを入れた…
「ゴメン…」と一言呟いて…

 

遠くで洗濯機とシャワーの音が響いている。何がどうだったのか…ぼーっとした影貴の脳が全てを思い出すのにしばらくの時間を費やす。

…ココ…何処だろう…

見知らぬ景色を薄目で見ながら影貴は自分が大きなベッドにいることに気がついた。

…そういえば私…!

手を肩にあてる。そこに布の感触は…無い

…う…ウソ…!?

体中を手でまさぐる…自分を包んでいるのは一枚だけのようだった…
枕に顔を埋め青ざめる体をさする。シャワーの音がますます嫌な予感をつのらせた…

…まさか私…!!?

 

ドアの音が響き、響が出てきた。こんなに露出度が高いのはプールに行った時以来かもしれない…車にあったタオルで頭を拭きながら響はベッドの端に腰掛けた。
「あれ?起きてたの?シャワー浴びる?」
にっこり微笑む響とは裏腹に影貴は怯えた声で尋ねた。
「わ…ワたシっ…もっもしかして…っ」
氷のように冷たく冷えた体が小刻みに震える…
「覚えてないの?しっかり僕を風呂場に追いやって洗濯機回してからそこで寝てたんだよ」
その答えにほっとしながらも影貴は疑惑の目を向ける。冷たい嫌な感触が体を締め付けた…
「み…」「見えないよっ!」
苦笑いを浮かべながら響は言った。
「で、熱の方は…?」
「…っ!?」
自分に近づいてきた大きな手と整った顔に影貴は思わず退いたが、響は気付かずに影貴のほてった顔に額をあて、眉根を寄せた。
「駄目かぁ…まぁ今晩はゆっくり寝るだね。高速も止まったし…」
響は蒲団の端を丸め影貴をくるむようにするとあいたベッドの端に寝っ転がってタオルを掛けた。

 

…コワイ

この感じは前にも感じたことがあった…
震えが止まらない体を押さえ、記憶をたどる…
ちょうど一年前…高二の秋だった…
あの頃と状況は変わっているというのに
変わっていると信じているのに

…私は先生の事…信じきれてないの…?

ワタシハ…

 

眠る影貴に背を向け、響はまどろんでいた。

…きっと昔なら…
こんな行動はとらない
目の前に女が寝ていたらためらわなかっただろう
…今は違う
自分に怯えた目を向ける彼女は去年の傷を引きずっている…
忘れられなくて当然なのは解ってる
だから…

彼女にあまり負担はかけたくなかった
思い出させるような事はしたくなかった…
こんな筈じゃなかったのに…

 

ふっと自分の上に人肌の蒲団が乗っかってきて、響の思考回路が止まった。半分程の寝ぼけをさますようにゆっくり顔を傾けると、蒲団の端を自分に掛ける影貴の手が冷えた背中に当たった。
「せ…先生…風邪…引いちゃう…から…」
表情は理由が色々あってつかめない。しかしその手は冷たかった。引っ込めようとしたその手を握り、響は笑った。
「自分の事だけ考えてくれて良いんだよ…別に僕は…」
「だって…先生風邪引いたら…私のせいだ…」

こんな状況下で
自分のような人間を気にかけるような人間なんか
見たことなかった

「有難う…」
相変わらず冷たい影貴を抱き締め、響は囁いた。 自分と彼女の間に挟まれた彼女の掌から互いの鼓動が伝わって響く。
「…先生…あったかい…」
ふいに耳元でそんな声がした。
「二人でいれば…僕はいつでもあったかいよ…」
眠気のせいか…なんで自分でもそんな返答をしたのか解らない。言った後で不安になって表情を覗くと、影貴はなんとも複雑な表情を浮かべていた。
「…そんなこと…言って貰える資格ないんです…私」
「あるよ。少なくとも僕にはある…」

返事は帰って来なかった。
疲れて寝てしまったのかもしれない。ゆっくり影貴から手を離そうとする…
「…せんせいのこと…好きっていったら…迷惑ですか…」
いつのまにか乾燥機の音は止まり、雨音しか聞こえなくなったモーテルの中にその一言だけがこだました。
びっくりして顔の角度をかえると伏し目がちの茶色の瞳がじっとこっちを見ていた。
「そんな事言って…いいの…?」
思わぬ一言にますます言動が不明になる。よくよく考えると影貴からそんな事を言ってきたのは初めてだったのかもしれない。影貴はこくんと頷くと唇を軽く重ね寝てしまった…

 

…もしかしたら

この蝶は飛び立ったフリをしても、また自分の元に舞い降りてくれるかもしれない…

 

 

 

 

20021021