裏 旅行編。第二日目

 

翌朝、影貴が目を覚ますとそこは響のベッドの上で、隣には誰もいなかった。下へ降りるとスーツを着た響が目玉焼きを食べていた。

「お早う、良く寝られた?」

「御免なさいっ!寝過ごしちゃった」

「構わないよ」

今日の昼から学会があるという。珍しくスーツを着て髪をきっちりまとめた姿は昨日とは打って変わってぴしっとしている。

「あ、悪いんだけど、ネクタイ選んでくれない?」

響が指差した隣の部屋には沢山のネクタイが掛けられていた。

「先生の方がセンス良いのに?」

と影貴が言うと、響は立ち上がって影貴の肩を組んだ。

「ネクタイ選んで結ぶのは妻の仕事でしょ?」

 

影貴の選んだのはピアスに合わせたエンジ色。カラシ色の模様が髪の色と良くあっている。それを慎重にきっちり結ぶと、響はにこっと笑って鞄を手に取った。こうして見るとやはりこの人は自分よりもずっと大人なんだと影貴は痛感した。

玄関で靴を履いた響に鞄を渡す。

「いってらっしゃい」と挨拶すると響は影貴の頬に軽くキスをした。

「いってくるよ、影貴…」

低い声で挨拶すると響は扉を閉めて出掛けていった。

 

…どうしよう…

両手で顔を押さえ、影貴は真っ赤になってうろたえた。

ドキドキする…

 

こんな風にされたのは初めてだ。

響が囁いた挨拶を耳がエンドレスでリピートする。

影貴は玄関に呆然と立ちつくし、高潮した顔を隠せずにいた。

 

私…本当に先生の事好きなんだ…

 

かくして影貴は広い志魔村家に一人、留守番として残された。

洗い物を済ませ、家の中を掃除し、洗濯物を干す。

外は夏模様の良い天気、眩しい太陽の光が影貴の黒い髪に熱を与える。

ひとしきり仕事を終え、洗濯した白いシーツを青い空をバックに眺めていると、ふいに尋乃達は元気にやってるかな…という思いが頭をよぎった。

…きっと私の事なんかこれっぽっちも思い出さずに楽しんでいるんだろうな…尋乃、私といる時よりも先輩といる時の方がずっと楽しそうだし、何より幸せそうだもん…先輩には勝てないよな…悔しいけど…

そんな事を考えながらぼーっとしていると…

突然、

家の電話が鳴った…

 

 

ドキドキしながら受話器を取って影貴は言った。

「はい、志魔村です」

「もしもし…?響か擾はご在宅ですか?」

声の主は男だった。低いが良く通った綺麗な声…小学校の頃から趣味とは言え合唱をやっていた影貴は声には敏感だった

「済みませんが二人とも不在なんです…何か伝言なら承りますが…」

電話口の男性は間を置いた後話を続けた。

「君は?」

「私は留守番なので…

「へぇ…で、君は誰?」

「いえ、ですから私は留守…

「じゃなくて、お名前は?」

なんと立ち入った事を聞いて来る相手なのだろう…

「名乗る程の者ではございません。只の留守番です」

「でも、その声からすると18・9の女の人でしょう?まさか泥棒さん…?」

「違います!ちゃんと先…響さんの依頼で来てる音尾影貴と申しますっ」

一体何だと言うのだ。人を泥棒呼ばわりして失礼な。

「そう、えいきか…素敵な名前だねどんな漢字使うの?」

「え、えと…影を貴ぶって書きます…」

初めて名前を変わっているではなく素敵と言われ、影貴は戸惑った。

「そうか…では影貴さん…君と…

電話口の男性が何かを聞こうとした時、玄関の鍵が開き「只今」という声と共に響が帰って来た。

「あれ?誰から電話?」

そう聞かれ影貴は相手の名をまだ聞いていないことに気がついた。

「すみませんっどちら様ですか?」

電話の男性はふっと笑いながら言った。

「そうだな…英国から国際電話…と言えば解る筈だよ」

「国際電話ぁぁっ!?」

思わず影貴が叫ぶと響がすっと受話器を取った。

「もしもし…」

その声は厳しく、表情は強張っていた…

影貴は電話の話を盗み聞きする気はなかったので、その場を離れようとした、しかしいつの間にか肩に響の手が回っていた。その手には若干の余分な力がこもっていた…

「…今の人…?誰だっていいだろう…用事って何」

「…先生…?」

白いYシャツを少し引っ張って影貴は眉根を下げた。その顔を見て響は苦笑するとゆっくり手を離し影貴をリビングの方へ軽く押した。

「あの…私普通に話してたんだけど…あの人どなたなの…?なんか気分悪そうだし…」

曇った表情のままYシャツを脱ぎ捨てる響を影貴は心配そうに覗き込んだ。

「大丈夫…そのうち…会える日が来るよ…」

響は小さな声で呟くと影貴の方に意味深な笑みを浮かべた。

「先生…本当に大丈夫なの…?」

響は嬉しそうに影貴の頭をくしゃっと撫でると、大きな袋を影貴に渡した。

「お土産☆家に取りに行くの面倒でしょ?僕の服着てる訳にはいかないしね」

中を開けると、ノースリーブのシャツとハーフカットのズボン…それに下着一式が入っていた。

「有難う…こんなの…よく平気で買いに行けるよね…」

「店やってる知り合いがいるからね」

と白い箱を出しながら響は言った。

「こちらは本日のデザート、白桃のケーキだよ」

箱を開けると白桃ゼリーがトッピングされた美味しそうなケーキが二つ、顔を覗かせた。

「わぁ〜っ!やったぁ!今日の夕飯は気合い入れなきゃっ!すぐ用意するね」

影貴が箱を冷蔵庫に持って行こうとすると、響は箱をすっと持ち上げリビングのテーブルの上に置き、後ろから影貴に絡み付いた。

「僕としては…メインディッシュはエイキチャンガイイナ…」

一気に鳥肌が立つ

おそるおそる振り返ると響が笑った

「夕飯何?」

…今の言葉は聞いてなかった事にします…

 

 

大きなダイニングで二人、静かに夕食をとる。

食後にはリビングで洋画を見ながらケーキとアイスティー…なんとも絵に描いたような光景。

それがぼちぼち終わったら風呂に入って、のんびりくつろぐ…ここはもはや自分の家と同じ位楽な空間だった。

ソファに座って伸びをしていると響が部屋に入ってきて客用の蒲団を広げた。今日の私の寝床はどうやら一番クーラーの効いた此処に決まったらしい。

「有難う。お休みなさい、先…響さん…」

戸惑いながらも影貴は響に向かって笑顔を向けた。

 

しかし

気付くとそこは蒲団の上…響の下だった…

 

「先生っ!?」

「…今のは一回だけなの…?」

「…ちょっ…!離してっ!」

影貴は精一杯の力を振り絞って言った。

「イヤ」

響は影貴の口を塞ぎ、手探りでリモコンを探して天井に向けると部屋の電気が消えた。

「本日ハドンナコースガオ好ミカナ…?」

白いバスローブをゆっくり脱がしながら響は耳元で囁く…影貴は首を横に振った。

すると響はリビングのちゃぶ台の上にあったアイスティが入っていたコップを手に取った。コップを傾け中身を飲み干すと、再び影貴に口を近付ける。影貴の口の中に大きな氷が入ってきた。

「ふっ…ふめはいっ…!」

思わず声を上げる。リビングにはもう雨戸が閉めてあって響の顔は見えない。時折光るピアスだけが響の居場所を知らせる。

いつの間にか風呂上がりの体を包んでいたバスローブは腰辺りまで降ろされ、ヒンヤリした蒲団が直接影貴の肌に触れた。

グラスの音がする…そう思った瞬間、氷を口に含んだ響が影貴の肌を撫でた。

「…ヤっ……ツメたイっ…!」

冷ややかな唇が胸元を撫でていく。躰が一直線に水で濡れていくのが解った。

「止めて!辞めてってばっ!」

響の顔をおもいっきり押して自分から突き放すと響は口の中の氷を噛んだ。ガリッという音が静かな部屋に響く。響は冷え切った口を影貴の耳に近づけ鋭い八重歯を向けた。

「…ピアスの穴…開くと思う…?」

冷たい吐息が影貴の耳を付く。

 

こうなってしまった以上もう私にこの場を逃げ出す権利はないのだと影貴は悟り、響の背中に細い指を伸ばした。

バスローブの帯が外されている気がした。

 

 

 

翌朝起きると

小さな布団の中に二人

身を寄せ合って

眠っていた

 

バスローブはきっちり直されていた…

 

 

 

 

 

 

続く