FATE12 実験開始
夜。
虫の音も、風の音も、聞こえてくることはない。
不気味な程の、静寂。
猫の爪のような月が申し訳程度に空にいる以外は、星達が力強く静寂を守って煌めくだけ。
研究所の広い草原には灯りもなく、完全なる闇が覆っている。
その場に溶け込んだ暗い部屋に向かって
廊下を駆けてくる不規則な足音が、その静寂を切り裂いた。
「…何をして…無礼…と思…か…!…」
「五月蠅い!」
二人…だろうか。静寂の中に不協和音を奏でるのは。
「蒐様にお目通りだなんて…!」
聞き取れる程の距離で騒ぐ声が聞こえる。もう目の前にいるのだろう。
部屋の主は正面の大きな扉の方を向き、椅子に座ったまま、机の脇のボタンを押した。
重い音を響かせて扉が内側に開き、廊下の明るい光が一筋、部屋の主を照らした。
「しゅ、蒐…様…?」
「構わない。通せ。」
その一言を皮切りに、傍らにいた声が姿を見せた。
主任研究員と言い合っていたのは一人の研究員だった。
色素の薄い茶色の髪。首の上で小さく一つに余り髪を纏め、黒いシャツに白衣を引っかけている。
蒐はすっと目を細め、頭の隅にあった記憶を引きずり出し、言葉を紡いだ。
「何をしに来た。速人。」
息が上がっていた研究員は呼吸を整えながら蒐に向き直って姿勢を正す。
「覚えていて頂けて…、光栄です…っ」
「当然だ。いいから用件は。」
「あ、はい、………あの……っ」
速人と呼ばれた研究員は喉を一度上下させ、口を開いた。
「…御影が…、帰っているのは 本当ですか…っ!?」
蒐は目を細め、顎を上げ、全てを見透かすような、世界を嘲笑うかのような、微笑みを浮かべた。
「そうだよ。帰ってきた。今日、ボクのモトヘ …ね。」
そう言って静かに立ち上がると、速人の元へ歩み寄る。
「解っていることだよ。あのコが帰ってくることも、君がここに来るということも。」
「御影が…!培養器の中に閉じこめられているというのは本当ですか!」
「本当だよ。」
速人はその一言に啖呵を切り始めた。
「なんて事を!御影はいい子です!あなた達が拘束したから逃げ出したのに!
私の元なら、逃げ出すことは絶対になかったのに!また同じ事をするなんて!
御影を、私の保護下に置いて下さい!御影に、会わせて下さい!」
詰め寄った速人を隣にいた主任研究員は引き留める。
「何を無礼な!これ以上の狼藉は許し難いですよ!蒐様の決定は絶対で…」
「そんなこと!解っています!だからこうして来たんです!」
速人は言い返して蒐を向いた。
「御影は私が…っ」
「ご苦労。しかし、君にあのコを見て貰おうとは思っていない。あのコが逃げ出すことはない。」
「どうして…!」
詰め寄る速人を右手で制し、蒐は続ける。
「彼女には逃げださない理由ができたからね。とても協力的だったよ。
それに君が降格したというわけではない。…ただ、今会うべきではないと言うだけだからね。
時期を見て素晴らしい再会場所を用意しよう…。」
しかし、親切ととれる言葉はとても冷徹で、速人は自然と息を飲んだ。
「今はその時じゃない。いいね。今君がやるべき事は、“彼を育てること” だよ。」
その最後の一言が、一帯に静寂を呼び戻した。
「すみません、前日は全く 、 不届きな部下が…」
「いや。想定の範囲内だよ。」
蒐は広い草原を見つめ呟く。
夜とは打って変わって明るい太陽の光が青い空から降り注ぎ、草原が青々と茂っている。
ちらほらと能力実験やバトルを行う研究員の姿が見えた。
「あのコが帰ってきたとなれば飛びついてくるのは当然だ。いずれ“あの二人”とあの子を再会させる予定ではある。」
「………実は人情深いんですねぇ…」
主任研究員は首を傾げてのほほんと言った。
「……………人情深い……?ふっ… それは面白いね。」
意味深な笑みを浮かべ、蒐は広げていた紙を机上から拾い上げる。
「なんですか?それ」
「あの六人のカルテだよ。非常に興味深い…。」
「そりゃぁ、あの六人は…」
そこまで言って、鏡一は言葉を止めた。
「一人はただの人間ですよ?」
「知っているよ。そんなこと位はね。」
蒐は目を細め、薄ら笑いを浮かべた。
「鏡一、きっと彼は一人仲間はずれでとっても寂しいだろうねぇ…。」
「そうですねぇ。唯一のトレーナーですしねぇ 」
相変わらず遠回しだと普通の反応しかできない主任研究員は大きな相づちを打った。
「まぁ私の見たところですと、あのハクリュウは自力で人形を取っているようですし、
ヘルガーは故意に憑依しているようですから完全に一人というわけでは…どうしました?蒐様」
主任研究員のボケっぷりはもう諦めたらしい。蒐は一言で言った。
「今うちの研究所に余っているDNAはないのかい?」
「え?余っている…?」
やっとそこで
鏡一はにこりと笑みを浮かべる。
「そう来ると思いました。ありますよ。OLD-094の遺伝子でしたら…今すぐご用意できます」
「その答えが数分前に欲しかったんだけどね。」
そう斬って返された主任研究員は笑顔で誤魔化した。
「いやぁ〜、きっとそう仰ると思って昨日のうちに一番面白いと思われるDNAを抽出したんですから…!」
白衣の胸ポケットからデータ用紙を取り出し、鏡一は読み上げる。
「本日正午、実験室004-Aにて行うことは可能です。DNA名はOLD-094、SHIANと呼ばれるものです。」
「発動は?」
カレンダーの日付をちらりと見て、鏡一は笑顔で答えた。
「……新月………今晩ですよ。」
椅子に座っていた蒐は楽しそうに言う。
「宜しい。君は本当に即日結果を欲しがる人だね。僕はそう言う所が好きだよ。」
「光栄です」
蒐はブラインドを下げて、外界と部屋を遮断した。
白いブラインドの脇から漏れる明るい光が窓の脇にいた蒐の瞳を照らし、反射させて光った。
「…さぞかし面白いことになるだろうね……。」
05/08/10