青年には不思議な記憶があった
エメラルドの嫋やかな波が
自分を救ってくれた
幼い朧げな記憶…
aqua 第一部 1
丸い見事な月
少女は友人と浅瀬の岩にもたれて月を見上げた。
「あの子…元気かしらね?」
月光で碧に照らされた髪を手でとかし、少女は呟いた。
「私たちとは時間の流れが違うから…きっと今頃は素敵な青年になってるかもね」
隣にいた友人が笑った。
「また会えればいいのに…」
一目
貴方を
見たかった…
男は一人 海を見つめる
太陽の沈む紫の海を
あの記憶はなんなのか
ふと隣を見ると自分より少し年上の男が同じように遠くを見つめていた
「どうしたんですか?」
青年…蔭は尋ねた。その男は顔を傾けて、笑った。
「君は人魚を信じるかい?」
蔭は井深しげな表情をした。
「私はね…信じた為に学会を追い出された…琉というものだよ」
男は言った。
「人の種の起源は海にある。私は人魚を信じるよ。君は知らないかい?この海には人を助ける人魚がいるという噂を…」
蔭は言葉を失った。
蔭は昔、海で溺れ数日後奇跡的に助かったことがあった。
記憶として残っていたのはエメラルドの波…しかしまさかそれが人魚!?
琉は優しく笑った。
「狂人の戯言だよ」
家に帰れずにいた。
砂浜を歩き、あの学者の言葉を思い出す。
人魚はいるのか
自分を助けたのは誰だったのか…
砂浜に座り、月を見ていた。
「……!?」
岩が…動いた!?
そんな筈はない。
ゆっくり近づくも月の光が影を作る。
「だれか…いるのか?」
「…っっ!?」
そこには、碧の長い髪をたたえた少女がいた。
「…そこにいると濡れないか?」
岩の辺りは海水に浸かっている。
「いえ…わ、私は大丈夫ですから…」
友人は気付かれていない。少女は手で合図して友人を逃がした。
「そろそろ潮が満ちてくる、こっちにあがれ」
蔭は少女の元へ浅瀬を歩いた。少女は何も言わず首を振る。
水の中を歩く蔭は少女の手前でなにかに躓いた。
「……っ!?」
少女は
何も身にまとっていなかった
そして
蔭のつまづいたものは
少女の腰に続いている
彼女の下半身は
足ではなく
『ヒレ』だった…
「に…にん、ぎょ…?」
少女は月に潤む瞳でこちらを見つめ…俯いた。
「貴方達はそう呼んでいるようですね…」
「私の名は月花、今日のこと…絶対に秘密にしてください…」
少女は蔭の服にすがりつき、頼み込んだ。
「…また…会えるか?」
ぼそっと発した言葉に少女は不思議な顔をした。
「また…星が巡りましたら…」
その笑みに蔭はほっと胸をおろした。
不思議な夜は
その日から始まった
夜蔭が海にいくと
彼女は必ず
あの岩影で
歌を歌っていた
その声は
世界を引き寄せ
包み込むような
優しさがあった
「月花…?」
小さな声で呼び掛けると少女は笑顔で蔭を迎えた。
蔭は少女の隣、岩の上に座り、他愛もない言葉を交わす。
人魚の世界はどんなに美しいかとか
人魚は泡から生まれ泡となって消えるとか
人間とは生きる時間の長さが違い、どれくらいの差かは解らないとか…
「私…探している方が、いるのです」
月花はそう言って月を眺めた。
「昔…幼い少年に…あらぬ心を抱いていた事がありました…」
蔭は胸が一瞬縮むような感じがした…
「きっと今は…素敵な殿方になって…いえ…この世にいるかどうか…」
そう言って月花は水面に顔を映した。
「あの方はもう…私の事など覚えていらっしゃらないでしょう…解っているのです、叶わない話だということも…っ!?」
蔭は少女を抱き締めた
あの日
あの月の輝く夜に
少女に出会って以来
頭から離れない
月に光り
揺れる長い髪
幻想的なその姿
憂いある瞳
儚い笑み…
「俺がそいつだったら…よかったのにな…」
月花は頬を高潮させ蔭を突き放した。
「お戯れを…!私は人間ではないのです!そのような事など許されませんっ!」
逃げようとした少女の腕を掴み、蔭は乱暴に自分の元へ引き寄せた。
「関係ない。心があることに変わりはない…」
「…っ!!」
顔を上げた月花と目が合った
月を映す
海のように深い
エメラルドの瞳
真珠のように白い肌
珊瑚のように紅く
魔性の唄を奏でる唇
蔭はその紅に自分の朱を重ねた
海のように深く…
「……ん…」
熱を帯びた憂いの瞳に
蔭は再び
心を跳ね上げる
少女は我に返ったように
白磁の糸を切り
闇の中へと帰っていった
「…どうしよう…」
月花は真珠色の枕に顔を埋めた。
気付いてはいけないと思っていたのに…
また自分は
叶わぬ恋に
身を投げてしまった
そして
気付いてしまった
彼のあの、優しい瞳
何も変わっていない
『何年も前』と
再び
出会ってしまった
「あんな素敵な方に
育っていたなんて…」
あの優しい瞳が忘れられない
月花は苦しくなる胸を押さえて
蒲団に潜った
何故私は
人魚に生まれてしまったのだろう
何故私は
あの日海の上に出てしまったのだろう
何故私は
少年を助けてしまったのだろう
何故私は
あの夜月を見に行ってしまったのだろう
何故私は
あの人に
恋してしまったのだろう…
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